親を介護しながら看護師の仕事を続ける現状について紹介しますので、頑張りながらもちょっと休憩を入れるきっかけになればと願います。年代別の離職理由をみると50代以降になるにつれて介護を理由に一定数の人が離職していますが、晩婚化が進み今後は育児と介護の両方を担う若い人も出てくると思います。親の介護をしながら働くとどのような状況になるのか、この記事を読んでイメージを持っていただき、その時に応じた最善の選択ができるようにと祈っています。
介護の始まりからストレスフルになる
私は実家から離れた場所に住んで3交代の病院看護師をしていたときに、親が難病になり何度も入退院するようになりました。そのたびに救急車に同伴、自家用車で搬送、車いすで電車通院などを繰り返すわけですが、まず最初は介護認定を受けていないときから始まりますので、車いすさえありません。外来通院時、病院までのあと50mが歩けなくなって座り込んだ親のために、走って病院の受付に行き車いすを貸してほしいといいましたが、看護師に車いすは外に貸し出せないので救急車を呼べと言われてドツいたろかと思いました。そういう患者サイドの憤慨経験もたくさんするようになります。
救急車で搬送されても自家用車で他の家族が搬送しても、勤務中に電話がかかってきます。私がかけつけても特に処置も意思決定も変わりないのですが、一般人の家族にとっては救急搬送はおおごとなので、勤務中の家族への連絡をまつべきかどうかなど判断がつきません。実際救急搬送されるくらいですから、出血多量で血圧40mmHgの中、呼びかけながら救急車に同伴することもありました。そういう気を張る毎日が続くようになりますから、仕事での緊張とプライベートでの緊張で自分も家族もストレスフルになりました。
家族の中で看護師役割を担う
両親ともに健在でしたが、片親の意識レベルが悪くなるにつれて、緊急OPEの同意書やDNARの承諾書など生命の重大な意思決定をする書類にサインするのは私の仕事になりました。主治医から説明を受けても納得いかなかったとき家族は私に説明を求めますし、私がわかりやすく説明したら「そんなことはわかっている」、少し込み入った説明をすると「そんなんじゃわからない」となってしまいます。厳しい状況の中、いくつかの選択肢を提示すると「あなたは冷たい」となります。それでもやっていけたのは、いつのまにか家族のなかで冷静に看護師役割を果たしていたからでしょう。これは私の中では失敗でした。やはり自分も家族の一員であり、悲しみや恐怖を味わっていることに変わりないので、自覚しているよりもストレスが大きかったです。これは、疾患や家族関係にもよるので一概にいえませんが、重要なのは「自分も家族である」ということを忘れないことです。
看護師である自分と、家族である自分の葛藤
何度も急変し、何度も助かり、入退院をするうちに、家族は心配のあまり毎日お見舞いに行き、面会時間を延長して病室に座り続ける日々を過ごし始めました。そして私も日勤後や休日にお見舞いに行ってほしいと頼まれました。毎日欠かさず誰かがお見舞いに行かなければならないという状況です。難病で意識はあるのに動けなかったり、意識があるけど伝えられないのが家族にはわかるので、みんな辛かったのです。何度か話し合い面会状況を改善しようとしましたが、家族は面会にいかなければ気が休まらず、面会に行けば体力がもたずの最悪な状況になりました。そこで転院調整を図り、難しい症例でしたが実家で介護することにしました。私もそのころ転職し仕事のペースを落としましたが、実家での介護が始まると、16時間の深夜明けで3時間寝て、18時には実家に帰っておむつ交換・体位変換・注入・イブニングケア・吸引などの一連の介護が目白押しの実家夜勤が始まります。実家で同居している家族はそれを毎日やっているので、同じ方法で同じ時間にしてほしいという要望があり、その必要がなくても、そうしてくれないと気が休まらないのです。と、いうことで、適宜手を抜きつつも、夜勤明けに実家で夜勤をする日々が続き、結局休日がない状態が1年以上続きました。もちろん実家夜勤は受け持ち患者が1名だから体力的には余裕なわけですが、しっかり体を休める時間はとれません。家族は自分たちも必死で介護しているので、看護師の重労働に加えて休みなしで実家夜勤をすることの異常さに気づきにくいです。ですから、喧嘩を避けるためにも、あえて実家に引っ越さず別居を選んだのは正解でした。
私は若い時に親の介護を経験したので、当時人生の先輩のような有益な助言ができる友人はいませんでした。ですから、いつまで続くかわからない非現実的な介護方法を続けることに強い疑問を感じつつ、家族の「精一杯してあげたい」という強い思いと実際に行動する姿勢を尊重したい気持ちで、結構葛藤しました。訪問看護師もケアマネも保健師も、どうしてもキーパーソン役割を看護師の娘に投げてきますし、安心していたのか、改善案を提示されたことは一度もありませんでした。このように、医療者が近くにいるにもかかわらず自分が孤立することがありますので注意が必要です。これを救ってくれたのは、介護経験者でもある看護師の叔母でした。近くにいなくても、ここぞという時に必ず駆けつけて声をかけてくれるのは心強かったです。お葬式の日「寿命だったんだよ」と言われたとき、知る人にしか、かけることのできない思いやりのある言葉だなと思いました。
仕事を辞めるべきか
実家で介護する場合、夜間対応が家族になります。しかし家族は日中仕事や自分の用事をしていますので、夜間に介護を継続する場合、十分な睡眠がとれません。私は病態生理的に状況がわかるので実家夜勤でも仮眠をとれましたが、今日夜勤であるはずの人が寝ていると他の家族はちょっと心配になるようでした。こんな生活だったので、誰かが仕事を辞めるべきか悩みましたが、私は家族の中で一番年収が良かったので、お金が必要になったときのことを考えて仕事は継続しました。難病で余命が予測できなかったことも理由にありますが、家族の経済力と介護力の配分をどのように工夫するか考えなければ全部が共倒れになりますので、賢い選択が必要です。
私の場合は、実家介護に切り替えたため比較的出費はおさえられました。また、実家に帰ってから本人の意識レベルや表情が改善し、入院に伴う弊害(褥瘡・肺炎・医原性心不全など)から解放されたため、体力的にきつかったものの、結果的に家族全員が納得する生活を実現することができました。しかし引き換えに犠牲にしたものも数多くあります。これは人生の選択につきものなので仕方ありませんが、各家族でよく話し合いながらバランスをとることが必要になります。
ご承知のようにこの経験は一例にすぎません。ですが、状況は違えど看護師の仕事をしながら親の介護をするには、職場での看護師としての自分、家族の中で期待される看護師役割、家族の一員としての自分、どれもバランスを取る必要があります。今悩んでおられるかたは、周りに介護経験のある先輩看護師がいたら是非相談してください。そして現状維持・介護休暇・休職・転職などを含め、その時の状況に合わせて最善の選択ができればと思います。必要なときに休憩することは悪いことではありません。どんな選択をしてもいつだって看護師としてのキャリアは再開できますので、どうぞ、納得のいく選択ができますよう祈っています。